みなと 記憶の風景ランドスケープ

~区民のインタビュー映像~

新橋四丁目周辺

渡邉 仁久さん

  • 風景 新橋四丁目周辺

    港区の観光 ―港区のポテンシャル―

    昭和52年(1977年)奥様の実家である老舗のお菓子屋、新正堂へ入社。老舗のれんを守りながらも、餡子や最中の改良を重ね、「切腹最中」という斬新なネーミングの最中をヒットさせました。その発想力、行動力は港区観光協会の会長になっても変わらず、寺社部会、水辺部会へと次々と新しい提言を行い、港区の観光を推し進めています。そんな港区の観光への強い想いを語っていただきました。

    撮影日:令和5年(2023)7月10日

  • ■渡邉 仁久さんのプロフィール

    昭和27年(1952)愛知県江南市で誕生

    昭和46年(1971)桑沢デザイン研究所ドレス科に入学

    昭和49年(1974)愛知県実家の印刷屋に入社

    昭和52年(1977)新正堂へ入社。港区に転居。東京製菓学校の夜間部に通う

    昭和62年(1987)港区観光協会会長へ就任

    令和4年  (2022)新正堂会長へ就任

    ■インタビューメニュー

    生誕の地と港区に移り住んだ経緯(0:46) →昭和50年代前半の新橋の風景(1:33) →

    環状二号線(2:58) →新正堂の歴史と切腹最中誕生の経緯(4:18) →港区観光協会としての活動(7:23) →

    観光協会会長としての活動①MINATOシティハーフマラソン(9:00) →

    観光協会会長の活動②「水辺部会」(9:57) →観光協会会長の活動②「寺社部会」(10:52) →

    コロナ禍と町会の変化(12:20) →港区への思い(14:18) →好きな風景(15:39)

    ■撮影場所

    新正堂(インタビュー実施場所)

    浅野内匠頭終焉の地

    新橋駅

    東新橋一丁目交差点

    御成門小学校

    新橋四丁目東交差点

    泉岳寺

    もみじ谷

■かつての新橋の風景■

■港区の観光をもっと知るためのキーワード■