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遺構の詳細

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近年発掘調例が増している落とし穴状土坑は二基が発見された。一号土坑は直径一メートル前後の長円形プランで、深さは〇・六メートルが残る。床面に直径〇・五メートル前後、深さ〇・六メートルの小穴があり、内部に小礫が入っていた。二号土坑は調査区外へ続くためにすべてを発掘していないが、長方形と思われる平面形をし、やはり床面に深さ〇・七メートルの小穴が掘り込まれる。この種の遺構は概して出土遺物に乏しく、所属時期がはっきりしないことが多いが、大分県三光村佐知遺跡では同種の土坑から縄文後期の土器が出土していて年代の一端がうかがえる。
 弥生時代の遺構の中、貯蔵穴は三基調査された。口径・深さはそれぞれ〇・七メートルと一・四メートル、一メートル前後と〇・三メートル、二メートルと一・一メートルと規模はいずれも異なるが、ほぼ円形プランで断面形状は他遺跡例と同様に袋状である。出土遺物は乏しいが、周辺からは前期末ないし中期初頭ごろの土器が採集されており、ほぼその時期に営まれたものと思われる。
 調査対象地内の狭い平坦面の全面に墓地が広がる。一六基の土壙墓を確認し、窯跡周辺の道路予定地外でもそれらしい遺構を検出しており、広範に造営されていたようである。主軸方位は等高線と平行あるいは直角に近いものなどが混在しており、そこにある種の傾向をうかがい知るには至っていない。形態には平面長方形の墓壙の中に埋葬部を掘削するもの(二段墓壙)と埋葬部のみのものとがあるが、開墾などの後世の地形改変もあり、現状が直ちに本来の姿を反映しているものとはいえない。近隣の例では両者の形態がある。埋葬部の規模は幅が〇・五メートル前後、長さが一・一~一・九メートルほどの大きさで、多くが(隅丸)長方形、一部は長円形に近い平面形で、中には枕を付設する例、木製の板材(木棺)を使用した痕跡も見られた(第37図参照)。
 副埋葬遺物は一部の土壙墓から土器が出土している。これは墓壙上に置かれていたものが、木棺の腐朽によって転落したような状態であった。また、同様に幾つかの土壙墓では大小の礫が埋土上層から発見されているが、これは墓の位置を示す「標石」と呼ばれるものである。石製品や金属器は全く出土していない。
 甕棺は小児棺と呼ばれる小型のもので三基が確認された。中の二基は二個体を用いた合わせ口甕棺で、一基はすでに抜き取られたものか、単棺であった。上半部は既に失われており、下半のみが残存していた。これも出土遺物はない。
 以上の土壙墓・甕棺は混在しており、ほぼ前後して営まれたものと思われ、出土土器も中期前半から半ばと呼ばれる時期に属するものである。

第37図 居屋敷遺跡土壙墓・貯蔵穴実測図