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目次
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第三編 古代(奈良・平安時代)
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第二章 古代郷土の夜明け
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第三節 仏教の伝播と初期寺院
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二 豊津町周辺の初期寺院
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(二) 木山廃寺(犀川町木山)
明治の土地改修で出土
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木山集落の南側で、今川の支流である松坂川の堆積物で作られた低丘陵上に位置する。この廃寺の遣構は明治九年(一八七六)ごろの土地改修工事により出土したが、しかし、このときの工事でほとんどが消滅したと考えられている。
伝えられるところでは、その際、大量の瓦や礎石が出土したといわれる。そのなかでも巨大な花崗岩(かこうがん)の塔の心礎は割られて、現在ではその一部が木山集落内にある塞の神(さいのかみ)の石柱に転用されているが、その石柱の中央部左側には枘穴(ほぞあな)の残欠がみられる(第14図参照)。
第14図 木山廃寺の転用された塔心礎