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明治の土地改修で出土

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木山集落の南側で、今川の支流である松坂川の堆積物で作られた低丘陵上に位置する。この廃寺の遣構は明治九年(一八七六)ごろの土地改修工事により出土したが、しかし、このときの工事でほとんどが消滅したと考えられている。
 伝えられるところでは、その際、大量の瓦や礎石が出土したといわれる。そのなかでも巨大な花崗岩(かこうがん)の塔の心礎は割られて、現在ではその一部が木山集落内にある塞の神(さいのかみ)の石柱に転用されているが、その石柱の中央部左側には枘穴(ほぞあな)の残欠がみられる(第14図参照)。

第14図 木山廃寺の転用された塔心礎