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不明な伽藍配置

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昭和四十九年(一九七四)には廃寺跡と推定される水田が再び圃場整備の対象地となったため、遺構確認のための調査が行われた。
 この調査では寺院としての堂塔などの検出はできなかったものの、この廃寺の創建の年代を推定させる瓦をはじめ土器類などが発見されている。主な出土品には百済系軒丸瓦、重弧文軒平瓦、大宰府系軒丸瓦・軒平瓦、須恵器坏(つき)、土師器高坏(たかつき)・甕(かめ)、硯(すずり)、輪堂(りんどう)礎石(平安時代と推定)などがある。本寺院は七世紀後半ごろに創建されたと考えられるが、言い伝えでは鎌倉時代まで続いたといわれる。なお木山廃寺の瓦を焼成した窯跡としては、廃寺から北西約一キロメートルの山麓部に福六瓦窯跡がある(第15・16・17図参照)。

第15図 木山廃寺跡出土土器実測図

 

第16図 木山廃寺出土瓦拓影

 

第17図 福六瓦窯跡出土瓦拓影