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(一) 国・郡・里(郷)制

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 大化の改新後、全国を国・郡(評(こおり))・里(郷)に分けて地方行政が行われるようになったが、国はそれぞれその中を幾つかの「郡」に分け、郡を更に幾つかの「里」に分けた。しかし大宝二年に大宝律令が施行される前までは郡は「評」とされていた。評制時代の評は大・中・小の三等級に分けられていたが、大宝律令制下では大・上・中・下・小の五等級に分けられた。等級を決める基準は郡の中の里数によったものである(第6表)。
第6表 郡の等級と郡司の定員

郡司大領少領主政主帳合計
大郡(20-16里)   人   人   人   人   人
1(1)1(1)3(1)3(2)8(5)
上郡(15-12里)1(1)1(1)2(1)2(1)6(4)
中郡(11-8里)1(1)1(1)1(0)1(1)4(3)
下郡(7-4里)1(1)1(1)1(1)3(3)
小郡(3-2里)領1(1)1(1)2(2)

(1)『養老令』戸令定郡条・職員令による(国史大辞典より)
(2)括弧内の人数は『続日本紀』天平11年5月甲寅条による新定員
 次に里は五〇戸を一里とし、里長が置かれて末端の行政を執り行った。しかし霊亀元年(七一五)に里を郷とし、郷の下に二、三の里を置いた。更に天平十一年(七三九)には里を廃止したために国・郡・郷というしくみになった。承平年間(九三一―三八)に成立した『和名類聚抄』に記されている郷名は四〇〇〇にのぼっている。