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(三) 郡衙(ぐんが)(郡家(ぐんげ))とその構造

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 郡司が政務を行う場所を郡衙または郡家・郡府と呼ぶ。『上野国交替実録帳』(十一世紀)や近年の五〇か所以上に及ぶ郡衙遺跡の発掘調査によってその構造が明らかにされてきている(第28図参照)。それらをみると全体的には郡衙は国衙に比べて郡衙域の規模・形、建物の規模・配置など多様性に富んでいて、在地性の強さをうかがわせている。また衙域も三町前後が多いと考えられている。郡衙の施設には郡庁・正倉(しょうそう)・館(たち)・厨(くりや)のほか各施設を囲む溝・土塁(築地)・堀・板塀などの外郭施設がみられる。それぞれの施設の具体的な働きと構造は次のとおりである。
 ・郡庁…郡司たちが執務する事務棟であり、政治的・儀礼的行事が行われる。建物の配置形態は、正殿を中心に脇殿または長殿を国衙正庁のように左右対称に配するものとそうでないものなどが五類型ほどみられ、多様性に富んでいる。
 ・正倉…主に農民から納めさせた租税や出挙の利息稲を収納した倉庫群。文献によれば丸木倉・甲羅倉・板倉・土倉などがあり、多くの倉庫群が幾つもの群れに分けて管理されていた。
 ・館……郡司の宿舎や国司の国内巡行・公的な使臣の宿泊・接待の施設。『上野国交替実録帳』によれば宿屋(やどや)・向屋(むかいや)・副屋(そうのや)・厨(くりや)・厩(うまや)などのあったことが分かる。
 ・厨家…郡司や徭丁の食事・公的な宴会・使臣の食膳を準備したり管理したりする施設。『上野国実録帳』には酒屋・納屋・備屋(そなえや)・竃(かまど)屋などが見えるが、調理場とこのような建物・倉庫群によって構成されていた。更に調理場には井戸を伴った。

第28図 三次郡衙の復原景観図(ほぼ南よりみる)
(古代を考える「宮都発掘」坪井清足編 吉川弘文館 昭和62年より)