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(五) 史料にみえる郷土の郡司

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1.京都・仲津両郡の郡司に関する史料は極めて乏しいが、以下三人の郡司についてみることにする。
  (1)天平十二年(七四〇)の「藤原広嗣(ひろつぐ)の乱」に関して(続日本紀)
   ・仲津郡擬少領膳東人(かしわでのあづまひと)…広嗣軍から兵八〇人を率いて官軍に帰順。
       ※大和時代に中央に膳臣(かしわでのおみ)がいて、諸国の膳部を都へ上番させて朝廷の食膳を受け持った。大宝二年(七〇二)の「豊前国戸籍」には上三毛郡に膳臣・膳大伴部の名がみえるので、豊前地方にも膳部がいたことが分かる。膳東人(かしわでのあづまひと)は、膳部の地方族長としての伝統を継ぐ地方豪族であろう。
   ・京都郡大領楉田勢麻呂(しもとだのすぐまろ)…広嗣軍から兵五〇〇騎を率いて官軍に帰順した。
       ※広嗣の乱の論功によって叙位された者の中に楉田勝麻呂(しもとだのすぐりまろ)の名がみえるが、同一人物と思われる。勝は秦氏系の在地首長の姓である。
  (2)慶雲二年(七〇五) (日本霊異記)
   ・宮子郡(京都郡)少領膳臣広国…死後蘇り、黄泉(よみ)の世界を語り、仏法に帰依(きえ)したという。
2.他郡域の郡司
郡名西暦年号官名位階氏名出典
築城740天平12年3月擬少領外大初位上佐伯豊石続日本紀13
上毛740天平12年3月擬大領紀宇麻呂続日本紀13
下毛740天平12年3月擬少領無位勇山伎美麻呂続日本紀13
827天長4年擬大領蕨野化宮守日本後紀18
大領蕨野勝