(1)天平十二年(七四〇)の「藤原広嗣(ひろつぐ)の乱」に関して(続日本紀)
・仲津郡擬少領膳東人(かしわでのあづまひと)…広嗣軍から兵八〇人を率いて官軍に帰順。
※大和時代に中央に膳臣(かしわでのおみ)がいて、諸国の膳部を都へ上番させて朝廷の食膳を受け持った。大宝二年(七〇二)の「豊前国戸籍」には上三毛郡に膳臣・膳大伴部の名がみえるので、豊前地方にも膳部がいたことが分かる。膳東人(かしわでのあづまひと)は、膳部の地方族長としての伝統を継ぐ地方豪族であろう。
・京都郡大領楉田勢麻呂(しもとだのすぐまろ)…広嗣軍から兵五〇〇騎を率いて官軍に帰順した。
※広嗣の乱の論功によって叙位された者の中に楉田勝麻呂(しもとだのすぐりまろ)の名がみえるが、同一人物と思われる。勝は秦氏系の在地首長の姓である。
(2)慶雲二年(七〇五) (日本霊異記)
・宮子郡(京都郡)少領膳臣広国…死後蘇り、黄泉(よみ)の世界を語り、仏法に帰依(きえ)したという。
2.他郡域の郡司
郡名 | 西暦 | 年号 | 官名 | 位階 | 氏名 | 出典 |
築城 | 740 | 天平12年3月 | 擬少領 | 外大初位上 | 佐伯豊石 | 続日本紀13 |
上毛 | 740 | 天平12年3月 | 擬大領 | 紀宇麻呂 | 続日本紀13 | |
下毛 | 740 | 天平12年3月 | 擬少領 | 無位 | 勇山伎美麻呂 | 続日本紀13 |
827 | 天長4年 | 擬大領 | 蕨野化宮守 | 日本後紀18 | ||
〃 | 〃 | 大領 | 蕨野勝 | 〃 |