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免について

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免とは年貢率のことで、これを本高に乗じれば、年貢が算出される。免という言葉は、文字通り「許す」とか「免除する」などという意味で、中世においては田畠からの全収穫物の中の農民の取り分、という意味であったが、近世に至ってその語義が逆になり、全収穫物の中の領主側の取り分、または領主取り分の割合という意味に使用されるようになった。
 細川氏の治世のころには、春の内に土地の善悪を勘案して村ごとの免を決定する方法(土免制)と、農民が土免を拒んだ際には、秋に検分を行って免を決定する方法(検見制)を併用し、選択させることで、農民の作徳意欲を喚起しようとした(宮崎克則「元和・寛永期における年貢賦課と徴収」『近世近代史論集』吉川弘文館)。例えば、細川氏時代の寛永六年―八年(一六二九―三一)では第53表の①のとおりの免が仲津郡の村々で実施されている。
第53表の① 寛永6・7・8年仲津郡の免
(%)
手永名村名寛永6寛永7寛永8
国作手永福富29.00428.0031.50
国作40.0039.0042.60
惣社49.5050.0053.00
矢富38.0039.5042.50
有久31.0032.0035.00
大橋50.5049.0052.50
竹並36.0035.0038.10
下原17.0015.0018.20
田中40.0037.0040.00
呰見28.0927.0030.00
綾野32.2031.0034.30
上坂
徳政42.0841.0044.90
国分35.3034.0037.20
節丸手永吉岡20.09522.0025.00
上原28.0029.0032.00
光冨30.01531.0034.00
節丸30.0029.0032.00
犬丸51.0050.0053.00
内垣52.0050.2053.00
末江37.0036.1039.00
下高屋20.2029.0032.00
上高屋44.5043.0046.90
下ノ馬場36.0035.0038.00
横瀬51.0053.0055.00
下伊良原44.0245.0048.00
上伊良原42.6041.0042.60
帆柱19.0019.0521.00
扇谷
平嶋手永津留36.5035.0038.20
真菰
今井51.21551.5051.25
宮市39.2038.0041.00
寺畔38.0037.0840.00
流末25.0233.0027.30
天生田34.0033.0037.00
彦徳40.5041.0044.50
崎野34.0033.0037.00
柳井田35.0034.2037.70
平嶋26.8029.0031.00
草場38.0039.0041.00
道場寺30.0033.0039.00
徳永20.0019.00922.00
元永手永元永37.1036.0039.00
竹田45.2046.0049.00
沓尾
高瀬35.0834.0037.00
稲童20.000520.00123.00
辻垣41.0038.0042.00
大野井40.0839.0042.00
金屋
宝山35.1034.5037.60
羽根木50.0051.0054.00
蓑島23.0022.0025.00
小犬丸38.0037.0040.40
馬場42.1041.0044.00
長江27.0026.0129.00
松原21.0920.0023.00
袋迫
長井手永花熊36.2037.0037.80
木山21.0023.0026.00
谷口
大村46.0245.0048.00
大坂28.0527.0030.10
柳瀬48.5047.0050.00
崎山50.2049.0051.90
喜多良35.3034.0037.70
鐙畑24.5023.0027.00
大熊29.0028.5031.00
山鹿47.0046.0349.00
本庄40.0039.0842.00
古川31.0030.7033.30
久富
続命院36.0035.0238.90
八ツ溝
史料「寛永九年 豊前国仲津郡寛永六年七年八年三ケ年之御免帳」(財団法人永青文庫所蔵史料)
(注)数値を記していない村があるのは、史料中にその村が記載されていなかったためである。ただし、一ヵ村だけの虫損のため村名を読み取ることが出来なかった。その村の免は寛永六年=38.01%、同七年=36.00%、同八年=40.00%である。なお、手永名は参考までに小笠原入部後のものを示したもので、細川時代の区分とは異なる。

 小笠原氏の治世になってからも、万治(一六五八―六一)・寛文年間(一六六一―七三)までは、毎年検見を行って、免も上下したが、以後は固定したという(「定免法(じょうめんほう)」という)。免が固定して以後の、小倉小笠原藩全体と仲津郡の村々の年貢率分布状況を第53表の②に、現豊津町域の各村の年貢率分布状況を第54表に示した。江戸時代の年貢率について、俗に四公六民・五公五民(四〇~五〇パーセントの免)といわれる。かなり多くの村がその範囲でおさまっているが、それも村によって多様であったことが分かる。
第53表の② 免の分布(寛文年間以降)
小倉藩
598カ村
節丸手永
15カ村
国作手永
14ケ村
元永手永
15ケ村
長井手永
16ケ村
平嶋手永
14ケ村
73%~  
65%~3(1)
60%~5(1)
55%~29(3)31  
50%~41(7)2(1)2(1)32
45%~77(6)41(1)1(1)21
40%~106(13)5  6  45
35%~65(4)33  2  23
30%~33(2)22(1)12
25%~23(4)1  1  4
20%~12  32  1
15%~1(1)
10%~2(2)
(注)1.括弧内は、1つの村で免が2つ以上ある村の数
  2.表の中で小倉藩全体の年貢率の分布は「豊前旧租要略」から引用した。
(史料)「豊前旧租要略」(『福岡縣史資料』第8輯 昭和47年)
「嘉永五年仲津郡本田御勘定帳」(国作手永大庄屋文書)

第54表 現豊津町域の免
(寛文年間以降)(%)
村 名年 貢 率
節 丸39.5
光 冨39.0
上 原32.0
吉 岡23.0
国 作44.0
惣 社54.0
有 久35.0
下 原25.0
田 中42.5
呰 見31.0
綾 野45.0
上 坂45.0
徳 政47.0
国 分45.0
彦 徳49.5
徳 永23.5
「六郡地免并御免相目録写」
(「勢島文書」109)

 免を決定するには、その村の五年または七年の収穫を平均して一年分の収穫高を算出し、その上で次の一二項目を勘案して決定したという。①地味のよしあし ②水利・灌漑の良否 ③風・水・干害の多少 ④土木費の多少 ⑤山林の有無、薪炭の便否 ⑥秣(まぐさ)場および肥料の便否 ⑦山海の遠近、台風の有無 ⑧村落より耕地への通路の便・不便 ⑨米穀などの運搬の便・不便 ⑩都市周辺への距離遠近 ⑪人口に対する田畠面積の多少 ⑫農業以外の生業の有無、多少。