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京枡物成について

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小笠原氏は検地を行わず、前領主・細川氏が行った検地帳を引き継ぎ、後に水帳改正を行うにとどまったことは前述したが、その細川氏が検地を行った際に基準とした枡は小倉枡であった。ところが、幕府は寛文九年(一六六九)に、公用枡として京枡を指定し、これをうけた小倉小笠原藩は寛文十一年に京枡を採用することとした。そのため、これまでの小倉枡による石高表示を京枡に換算しなおさなければならなかった。小倉枡、京枡の容量は次の通りである。
 
小倉枡  縦横五寸 深さ二寸五分(体積 五×五×二・五=六二・五)
京枡   縦横四寸九分 深さ二寸七分(体積 四・九×四・九×二・七=六四・八二七)
 
 小倉小笠原藩では一石の年貢に付き、三斗七合三勺二才八払の付加税が掛かったので、合計一石三斗七合三夕二才八払を納める必要があった。この付加税分を含めて京枡に直すには、小倉枡と京枡の体積比を、これに乗じれば、ある係数が求められ、これを小倉枡物成(「物成」とは年貢のこと)に乗じれば、京枡の物成が求められるが、実際には次のような計算を行って係数を求めることになっている。
 
 ① 一石三斗七合三勺二才八払に計算の便宜上二払を加える
 ② ①の数値に小倉枡の体積六二・五を掛ける
 ③ ②で求められた数値を京枡の体積六四・八二七で割る
 
 この結果、一・二六〇四〇二六八七という数値が求められるが、最終桁七を切り捨てた一・二六〇四〇二六八を小倉枡から京枡に変換する係数として用いるのである。例えば、節丸村の場合、本高一二〇四石二斗三升八合、免三ツ五分五朱であるから、京枡物成は、〔本高一二〇四石二斗三升八合×免三ツ五分五朱(三五・五%)〕×一・二六〇四〇二六八で、五三八石八斗二升七合八勺四払九余となり、勺に足りない分を切り上げて、京枡物成五三八石八斗二升七合九勺が求められる。仲津郡の全村の京枡物成は第56表のとおりである。この、小倉枡の物成から京枡の物成に変換する係数一・二六〇四〇二六八を用いて京枡物成を求める計算方法を「十二六下四下二六八の法」と言う。
第56表 仲津郡全村京枡物成
(単位 石)
手永名村名京枡物成
国作手永福 富234.43200
国 作404.54740
惣 社142.88120
矢 留281.36360
有 久85.80380
大 橋1517.78400
竹 並222.95280
下 原83.84510
田 中243.92870
呰 見182.74630
綾 野215.60550
上 坂88.36850
徳 政224.36730
国 分280.91830
節丸手永吉 岡68.85900
上 原157.87060
光 冨384.27470
節 丸538.82790
犬 丸206.71450
内 垣185.41760
末 江132.16670
下高屋113.57440
上高屋419.27710
木井馬場351.24760
横 瀬297.92560
下伊良原249.51980
上伊良原282.99950
帆 柱36.06780
扇 谷7.79100
平嶋手永津 留338.82890
真 菰119.66210
今 井557.36160
宮 市322.83490
寺 畔244.68550
流 末228.44380
天生田396.46770
彦 徳189.24420
崎 野165.01420
柳井田178.68700
平 嶋211.48380
草 場414.02340
道場寺317.27260
徳 永98.46580
元永手永元 永594.68500
竹 田173.58150
沓 尾20.26090
高 瀬248.23400
稲 童268.75990
辻 垣262.46000
大野井1046.84200
金 屋147.84470
宝 山604.96500
羽根木287.28960
蓑 島7.91520
小犬丸144.35410
馬 場177.82460
長 江163.44690
松 原148.35150
長井手永花 熊316.61320
木 山293.42500
谷 口191.16950
大 村256.29640
大 坂186.82210
柳 瀬253.48980
崎 山606.80450
喜多良254.76470
鐙 畑21.61950
大 熊272.60840
山 鹿272.47450
本 庄482.88100
古 川267.23990
久 冨218.84080
続命院274.76440
八ツ溝63.62090
(史料)「嘉永五年仲津郡本田御勘定帳」
(国作手永大庄屋文書)