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五分種子利米

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小倉小笠原藩の租税の中には、前領主・細川氏のそれを引き継いだものがいくつかある。五分種子利米もその一つで、細川氏が村々の本高に五パーセントを乗じて、その分を種籾として村の種子蔵に保管させ、毎年農民に貸し出した。その上で、元米の四〇パーセントの利息を毎秋上納する決まりであったのであるが、小笠原氏は細川氏に元米を返済した上で、これを引き継いだ。
 ただ、当初は一種の備荒貯蓄に関係する租税であったものの、後には慣習的に取り立てるのみで、備荒貯蓄との関係は名目上だけになったものと思われる。
 ちなみに、細川氏時代の惣庄屋の職務内容は、「根付之御僉議、五歩種子取立、道橋御取繕」(永尾正剛編「郡典私志付録編」所収「元禄十二年百余歳老人朽網村七郎右衛門口上書上」)と、小笠原時代の大庄屋に比べれば少なく思えるが、その少なかった役儀の中に五歩種子利米の取り立てがあったことは注目される。