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米小物成

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米小物成には、請藪年貢・茶年貢・葭代米・竹皮代米・土手萱代米がある。
 請薮とは宅地やその他農民の所有する土地の藪のことである。細川氏のころからの請藪は古藪と言い、小笠原氏の治世になって新たに課税対象となった藪は新藪と言った。
 請藪も農地と同じく位付けを行った。すなわち上々九斗、上八斗、中六斗、下四斗、下々三斗の五段階の石盛を設けたが、課税の方法は農地と異なり、免(年貢率)はなく、面積に石盛を乗じて累計した高に、一石あたり二升の延米を加えて上納した。もちろん、京枡を採用して後は、それに換算した高を上納した(第63表参照)。
第63表 節丸手永米小物成
(単位:石)
村名請藪年貢茶年貢竹皮年貢村別合計
吉 岡0.56500.01080.5758
上 原1.27700.05651.3335
光 冨1.53090.25861.7895
節 丸1.84830.19262.0409
犬 丸1.34350.01451.3580
内 垣3.49470.29283.7875
末 江0.75530.18580.9411
下高屋0.04060.40900.4496
上高屋5.35650.78196.1384
木井馬場12.13880.26110.086812.4867
横 瀬6.16201.61980.10127.8830
下伊良原3.64571.35660.11575.1180
上伊良原2.22712.42424.6513
扇 谷0.94400.04740.9914
帆 柱0.80050.05780.8583
合 計41.68948.35210.361550.4030
「嘉永元年仲津郡村々申諸取立本帳」(勢島文書90)
「慶応三年仲津郡村々卯穐御取立本帳」(勢島文書186)

 茶年貢も細川氏のころからのもので、それを小笠原氏が形を変えて引き継いだ年貢である。細川氏のころは、実際に茶園や畑の畦(あぜ)に植えられていた茶木からの収入に対して賦課し、代米上納していたという。しかし、小笠原氏の治世になってからは、実際の茶木栽培高とは無関係に定額上納となり、負担の方法も村弁(村全体で負担する方法)になった。
 竹皮代米は、当初は竹の皮を採集して、そこからあがった利益に対する運上であったらしいが、次第に慣習的に竹皮からの利益のいかんにかかわらず村弁で上納するようになったという。また、葭代米・土手萱代米も竹皮代米と同じく、葭・萱からの運上として取り立てていたのが、慣習的に利益のいかんにかかわらず、村弁の年貢となったものである。