このことから、これらの庄屋は、それぞれの家臣の知行地を管理する者であったことが知られる。したがって、村方の市兵衛は家臣の佐藤山三郎の知行地を管理し、専了は横山伝次の知行地を管理し、忠右衛門は飯田才兵衛の知行地を管理する責任者であって、村の代表、村のまとめ役の庄屋とは、本質的には異なる庄屋である。これらの庄屋のほかに、本来の村の代表、村のまとめ役の庄屋も置いていた。
後世に見られるような、大庄屋・庄屋をはじめとする村役の、行政機構がまだ確立していない時期は、家臣の小規模な領主ともいえる知行地支配者に、年貢米を確実に納入させるのを目的に置かれた者を含めて、庄屋と称していたのであろう。このようなことから、一村に複数の庄屋が存在していた。
当時の豊津町域一五カ村(上坂村が無いのは、当時は国分村の内で、のちに国分村から分村)の人口は、一一五五人で、石高は七二四六石余である(第65表参照)。
第65表 元和8年(1622)豊津町域の村高・家数・人口・知行・蔵納 |
村名 | 村 高 | 家 数 | 人 口 | 大 庄 屋 | 庄 屋 | 知 行 ・ 蔵 納 | ||
男 | 女 | 計 | ||||||
国分 | 石 合 767,848.00 | 軒 69 | 人 76 | 人 72 | 人 148 | 人 | 人 2 | 田辺平介・湯浅千太郎・山田七左衛門・平岡 新兵衛・山本二郎右衛門 |
惣社 | 199,730.00 | 19 | 19 | 17 | 36 | 1 | 富嶋猪兵衛 | |
国作 | 729,434.45 | 51 | 67 | 43 | 110 | 1 | 1 | 御蔵納 恒屋権介・中川佐左衛門・勘解由殿御内儀・ 雑賀源左衛門 |
田中 | 455,370.00 | 57 | 64 | 49 | 113 | 1 | 清田五郎太夫 | |
有久 | 194,510.00 | 32 | 25 | 26 | 51 | 1 | 村上八郎左衛門 | |
呰見 | 467,711.00 | 31 | 33 | 30 | 63 | 1 | 村上八郎左衛門 | |
下原 | 266,090.00 | 14 | 22 | 26 | 48 | 2 | 御蔵納 矢野兵吉・市野次兵衛 | |
綾野 | 456,219.60 | 31 | 46 | 37 | 83 | 4 | 泰岩寺 村上八郎左衛門・関小平次・香山与介・仁保 惣兵衛・恒屋権介・鈴木助太郎 | |
徳政 | 346,200.00 | 38 | 51 | 38 | 89 | 1 | 筑紫大膳 | |
節丸 | 1,201,988.80 | 78 | 86 | 72 | 158 | 3 | 住江武右衛門・沢村大学・井関伝蔵 | |
光冨 | 871,092.80 | 45 | 52 | 47 | 99 | 1 | 氏家源六 | |
上原 | 390,523.00 | 25 | 22 | 24 | 46 | 1 | 御蔵納 | |
吉岡 | 237,050.00 | 5 | 5 | 5 | 10 | 1 | 村上八郎左衛門・筑紫大膳 | |
彦徳 | 329,990.80 | 48 | 42 | 36 | 78 | 1 | 佐藤安右衛門・細川清左衛門・竹原伊伴 | |
徳永 | 332,426.20 | 14 | 16 | 7 | 23 | 1 | 1 | 村上八郎左衛門 |
合計 | 7,246,184.65 | 557 | 626 | 529 | 1,155 | 1 | 22 |
(『小倉藩人畜改帳』から) ※家数には牛馬屋を含む ※上坂村は国分村に含まれる |