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郡代

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小倉藩の企救・田川・京都・仲津・築城・上毛六郡の長官を郡代という。郡代はおおむね番頭の格式の者で、各郡の筋奉行・代官・山奉行を監督指揮して、藩内村方の民政全般を総括した。その役所を郡方内役所、または郡代役屋敷、地方ともいい、小倉城南の口御門外、木町元馬場町に置いた。郡方内役所には、書役、郡目付、同目付、廻役、郡方組足軽などを置いた。郡代直轄の郡土蔵役所には、勘定奉行の下に勘定方、蔵奉行の下に蔵方吟味役、井樋方奉行の下に手代、作事奉行の下に手代、足軽などの職制が置かれた。
 郡代は、慶応四年(一八六八)三月六日、藩政改革に伴い、郡政局主事と改正された。郡方内役所は、郡方役と改称され、のち郡政局と改称された。明治二年(一八六九)には、郡政局は民政局と改称された。翌三年には郡代の役職は、大属という身分に位置付けられた。