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子供役

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子供役は、大庄屋の職務補佐役であるが、金銭出納だけは関与しなかった。筋奉行の推薦によって郡代が任免した。子供役には苗字帯刀が許され、役職に就任中は手永名を姓とした。大庄屋の要請に応じて、役宅に出勤して事務に従事した。
 子供役の始まりは、寛永十四年(一六三七)城野手永中村大庄屋が、島原一揆に出陣した留守の間、子息が大庄屋の職務を補佐したのが始まりという。その奇特によって切米八石を褒賞されたことから、子供役のことを八石ともいう。藩では、このときから手永ごとに、子供役を一人置くことになった。