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法令の伝達

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役宅では、毎年正月に庄屋の初寄りで、法令の伝達をし、順守することを大庄屋から申し渡した。安政二年(一八五五)の法令伝達は次のようであった。
 
      覚
 一、かねて仰せ出され候御掟(おきて)筋、堅相守るべき候、非分の願い筋いたさず様、御静謐(せいひつ)第
   一心掛け申すべき事、かつまた、去夏より格別御取り締まり仰せ出され候に付ては、御時節柄とくと相
   弁え、諸出米など格外に少(省)略いたし、質素倹約相守り、遊芸の者村内え立ち入らせ申さず様、もっ
   ぱら農業相励むべき事
 一、近来博奕(ばくち)不取り締まりの儀、御聞き込みに付、御沙汰これあり候間、五人組限り申し合せ、訖
   度(きっと)締り方致すべし、もし、見聞におよび候はば、当人は勿論、宿主ともに相糺(ただし)申し出
   ずべき事
 一、強訴・徒党・逃散の儀は、公儀よりの御法度に付、若者どもに至るまで、兼々堅く相守り、いささか心
   得違これ無き様、なおまた、最寄手習師匠手本に認め、掟筋自然と相心得居り候様、取り計らわれ度事
 一、池川道橋平日気を付け、破損の場所は成るたけその村限り取繕い、大造に相成らず様いたし度事
 一、諸役目三ケ月限り相調子、御郡様御倹断(ママ)これあり候に付き、不益の夫遣いいたし間敷事
 一、御根付料、牛馬代貸渡し成るたけ相減し度候事、秋に至り御取立方差閊(さしつかえ)に相成らず様、此
   節より見通しを付け、なお五人組よりも詮儀(ママ)をとげ、貸渡し候様いたすべき事
 一、御山方に付き、麁略(そしゃく)の義これ無き様いたすべき事
 一、火の本用心、兼て入念申すべき候、千(万)一出火騒動これある節は、相互い早速駆付、防ぎ方いたすべ
   し、もっとも、銘々何にてもこれを防ぐ道具持参いたすべき事
 右の条々村々人別え兼て手堅く申し聞かせ置かるべき候、以上
     正月八月                         国作甚左衛門
     村々庄屋中
                                    (「国作手永大庄屋日記」)
 
 このように、法令の順守から、秋の年貢の完納まで、その間手永内のさまざまな職務は膨大な量で、役宅には書役三、四人を置いて、政務の全般にわたって村々の庄屋を指揮した。その職務に対しては、大庄屋役料が支給された。文政五年(一八二二)の仲津郡五手永の大庄屋居住村と、慶応元年(一八六五)の大庄屋役料は第67表のとおりである。明治二年(一八六九)七月二十九日に、大庄屋役田は廃止されて、手永へ返された。
第67表 大庄屋居住村と役料
大庄屋居住村  (文政5年)
大庄屋居住村
国作貞右衛門国 作
節丸覚右衛門節 丸
平嶋三左衛門今 井
長井覚七大 村
元永七左衛門羽根木

大庄屋知行代米渡方 (慶応元年)
大庄屋役高物成
国作昇右衛門403.815.2
節丸古助403.815.2
平嶋壮左衛門403.815.2
長井又蔵603.822.8
元永甚兵衛503.819.0
(「長井手永大庄屋日記から」)