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方頭の廃止

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同年閏四月二十五日には、庄屋の補佐役である方頭も廃止された。方頭の廃止は、他村の庄屋を兼務している兼帯庄屋にとっては、兼帯の村の取りまとめを方頭に負っている者が多く、方頭の廃止は職務に支障をきたすほどの重大なことであった。喜多良村(現犀川町)庄屋は、鐙畑村庄屋を兼帯していた。これまでは鐙畑村の方頭が庄屋の職務を補佐していたのだが、方頭の廃止によって村政のすべてが庄屋の掛け持ちとなった。こうなっては「急場御用方御差し支えに罷成り候」と、これまでどおり方頭を置くことを願い出た。これに対し役所からは「庄屋ども、掛け持ち務めにては御用方差し支え申すべく間、早々御用村方へ引越し、御用務むべし」(「長井手永大庄屋日記」)と、願いは取り下げられ、早々に転居を命じられている。
 廃止された方頭は、明治五年(一八七二)八月には「里掌」と改称されて、戸長(庄屋)の補佐役として復活している。