ビューア該当ページ

豊津県の区制

1035 ~ 1037 / 1391ページ
明治四年七月十四日には、廃藩置県によって豊津藩を廃し、豊津県となった。これに伴って行政改革が行われた。同月二十四日には、一手永を二区に分けて、(第69表参照)それぞれ区長が置かれた。一方の区長に役人が置かれ、一方の区長に大庄屋が任命されたが、役人の区長は在方の事務に不慣れのため、実態はこれまでどおり大庄屋が事務を取りしきった。
第69表 仲津郡の区の編成
(明治4年7月24日)
手永村  名
国作1大橋・福富・福原・矢留
2(国作)(惣社)(国分)(上坂)(綾野)(徳政)(有久)(下原)(呰見)(田中)竹並
節丸1(吉岡)(上原)(光富)(節丸)内垣・末江・下高屋・上高屋
2犬丸・木井馬場・横瀬・下伊良原・上伊良原・扇谷・帆柱
平嶋1津留・真菰・今井・草場・道場寺・(徳永)
2宮市・寺畔・流末・天生田・(彦徳)・崎野・柳井田・平嶋
元永1稲童・松原・袋迫・高瀬・辻垣・馬場・元永・沓尾
2大野井・宝山・長江・小犬丸・竹田・羽根木・金屋・蓑嶋
長井1花熊・木山・谷口・本庄・古川・久富・続命院・八ツ溝
2大・大坂・柳瀬・崎山・喜多良・大熊・山鹿・鐙畑
( )内は豊津町域
(『京都郡誌』から)

 大庄屋の名称は区長に改称されるのが普通であるが、名称については「昨夜区長仰せ付けられ候得ども、右加役大庄屋名目は、これまでどおり相心得らるべき候」(「長井手永大庄屋日記」)と、手永の大庄屋の名称は残し、手永と区が共存した形である。
 同年九月五日には、豊津県を一区から四四区に分かち、手永から区に編成替えが行われた。仲津郡は第一区から第十一区となった。それぞれの区には行政の役人を戸長に置いた。このことは「その区中之住居の士族・卒とも布告の義は、戸長より相達し候事」(「職制」豊津高校所蔵)とあり、士族が幕末の動乱で各村に分散したために、士族に関する布告・戸籍の事務に戸長が当たったもので、庶民に関する事務は、これまでどおり大庄屋・庄屋の職務であった。しかし、旧藩時代の大庄屋・庄屋といった村方役人の在方支配は、行政役人の手へと徐々に移行していった(第70表参照)。
第70表 仲津郡の区の編成替え
(明治4年9月5日)
戸 長村 名
1平松浄江(豊津)・(国分)・(上坂)・(徳政)・(彦徳)
2二木政喜(国作)・(惣社)・(綾野)・(有久)・(下原)・(呰見)・(田中)・竹並
3水野源六矢富・福原・福富・大橋
4葉山光大野井・宝山・長江・小犬丸・竹田・羽根木・金屋・蓑嶋
5桃井三六津留・真菰・今井・草場・道場寺・(徳永)
6秋元収稲童・松原・袋迫・高瀬・辻垣・馬場・元永・沓尾
7中野沃平嶋・柳井田・崎野・宮市・寺畔・流末・天生田
8上条亨花熊・木山・谷口・本庄・古川・久富・続命院・八ツ溝
9柘植九一大・大坂・柳瀬・崎山・喜多良・大熊・山鹿・鐙畑
10松崎轍(吉岡)・(上原)・(光富)・内垣・末江・下高屋・上高屋
11佐々木国香犬丸・木井馬場・横瀬・下伊良原・上伊良原・扇谷・帆柱
( )内は豊津町域(「職制」から)