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大庄屋の本・支庁詰め

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明治五年二月十七日には、小倉県庁から大庄屋は本・支庁詰めを命じられた。そして、大庄屋二人ずつが月番で本庁詰めを申し渡されたのだが、その日のうちに本庁出仕は撤回の通知が出された。このころは「朝令暮改」と言われ、新しい制度に対する試行錯誤の状況であった。