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手永・大庄屋・庄屋の廃止

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同年五月二日には大庄屋が廃止された。しかし、手永が廃止されるまで当分の間、これまでどおりの事務取り扱いを命じられている。同月十九日には手永が廃止されて、区制が敷かれた。仲津郡は第四十一区から第五十一区に編成された。区長について「今般一区一名新に区長を置き候条、各区内村々伍長よりその区の人物を見計らい、無私の撰を以て入札いたし」(『築上郡史』)と、公選によるとされている。また庄屋も廃止されて、戸長と改称された。廃止の時期は、戸長の就任が六月十三日から十八日の間であるので、六月上旬に廃止されたものと考えられる。
 それぞれの区に区長、村に戸長、そして戸長を補佐する旧方頭が、里掌の改称で復活している。戸長は、大中村は一村ごとに、小村は二、三カ村に一人置かれた。区長・戸長は管内人民から公選された者を任命したが、顔ぶれは、旧大庄屋・庄屋が引き続いて任命されたようである。
 豊津町域の初代の区長・戸長は、第71表のとおりである。それぞれの就任は、区長が五月に、戸長が六月に、里掌が八月に就任している(「覚(仮題)」永井文書)。
 豊津町域の大部は第四十二区・第四十三区・第五十区に編入されているが、第四十四区と第四十七区にも一カ村ずつ編入されている。
第71表 豊津町域の区長・戸町
(明治5年6月)
区長村 名戸 長居住町村就任年月
42


(上坂・徳政)
(国分)
(上豊津)
(下豊津)
(錦町・寿町)
林彦九郎
進五郎
三井省
安藤太兵衛
矢玉勘七
徳 政
綾 野
(士族)
(士族)
錦 町
 
43


(綾野)
(下原・有久)
(呰見)
(田中)
(国作)
(惣社)・竹並
野村弥七郎
中村定五郎
白石謙吾
末松逸平
尾形弥四郎
中山唯七
綾 野
有 久
大 橋
田 中
大 橋
竹 並
 
44


蓑嶋
金屋
大野井
宝山
長江・小犬丸
羽根木・竹田
(徳永)・真菰
今井・文久新地
草場
道場寺
村上与平
加来省三郎
安広嘉作
山口伝七
工藤完蔵
有松為蔵
刀祢九八郎
吉永甚平
秋満栄蔵
秋満桓蔵
蓑 嶋
元 永
大野井
宝 山
小犬丸
沓 尾
真 菰
今 井
草 場
道場寺
 
47



宮市
(彦徳)
流末
平嶋
柳井田・崎野
天生田
寺畔
浜田五郎七
安藤彦平
向井二蔵
有松二平
庄野三八郎
福嶋藤三郎
奥清三郎
今 井
彦 徳
流 末
道場寺
今 井
天生田
真 菰
 
50


(上原)
(光富)
(節丸)
(吉岡)・内垣
下高屋・末江
上高屋
勢嶋彦九郎
加木定三郎
勢嶋昇蔵
池田和三治
勢嶋昇平
清田弁吉
光 富
光 富
光 富
木井馬場
光 富
上高屋
5. 6.13
5. 6.13
5. 6.13
5. 6.13
5. 6.13
5. 6.13
(「戸長姓名録」永井文書)(「戸長姓名録」勢嶋文書)