夕刊大阪新聞社宛手紙

  中学校事件
 
         葉山嘉樹「(後筆)作」
         「(後筆)粥川伸二 絵」
 
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 かふ云ふ事件が起った。我々の村から程遠からぬ中学校での出来事である。
 
 我々の地方には、大戦中の好景気のどさくさまぎれに、殆ど各郡に一つづゝの中学校が出来た。
 百姓達も、娘を紡績に出したり煙草や晩酌を倹約したりして息子達を中学校に入れた。
 五年の後には、息子達は金の玉子を産むと彼等は考へた。五年間の辛抱だと思った。
 そればかりではない。せめて息子だけには学問をさせ度いと思った。
 『俺達ァ親代々搾られて来たが、息子にア一つ素張しくやって貰はねアなんねえ。』
 息子を中学校に入れたと云ふことは、その親達には、肩身が広く思はれた。未来の明い希望の数々を夢みさせた。
 それア宜敷くない傾向だ――と君は云ふだらうか?待ち給へ、そんなら、宜敷い傾向とはどんなものだ?
 人間が――殊の外百姓が、簡単に出来てゐるのなら至極結構な事である。四角なら四角、三角なら三角と云ふ風に。さうすると、社会は、指先でどうにでもなる積木細工見たいなものである。
 君は又、かう云はうとしてゐる。
 『農村のことを書くなら、息子に中学校を卒業させて素張しくやらせようなんて話は愚の骨頂ぢやないか。闘争してゐる百姓を書け。』
 御尤も!(その前にことはって置くが、私が今から話すのは百姓の話ではなくて、田舎の中学校で起った事件なのだ。)君の勇敢主義には敬意を表しましょう。所がどうだ。勇敢でさへあれば、大衆は従いて来ると云ふ君達の信念は、
 宗教的ではあらうが、大衆運動的ではなかった。
 一体君達は、気が短か過ぎる!
 
 扨て、中学校は、百姓の息子達に何を教へたか?
 英語、三角、幾何、代数、西洋歴史等々。これは学課と称ばれるもので、一日ならして正味三時間か四時間の問題であった。それに、学生達が、これ等の学課に対してではなく、教師達に対して、反抗的なのは注意すべきものである。これと同時に、そこは中学生達にとって一つの社会をなしてゐるのだ。こゝだけで通用する言葉や流行がある。道徳や刑罰がある。この中で彼等は教育される。
 五年の後に、どんな息子が、親達の眼の前に出来上がるか、悪魔が知ってゐるきりだ。