解題・説明
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西光院には、歴代の将軍が発給した50石の寺領と寺中不入を認めた朱印状12通が残されている。欠いているのは、第6代将軍家宣、第7代将軍家継、第15代将軍慶喜で、家宣と家継の治世は合わせて8年足らずで終わり、慶喜は幕末動乱期にあってそれぞれ発給されていないので、将軍から発給された全ての朱印状が残されていると言える。最初の朱印状は、天正19年(1591)11月の徳川家康から寺領50石と寺中不入を認めたもので、「福徳」の朱印が捺されている。第2代将軍秀忠の朱印状は、元和3年(1617)に発給され、天正19年の先判の旨とあり、「忠孝」の朱印が捺されている。第3代将軍家光も天正19年、元和3年の先判の旨とあり、朱印は「家光」と捺され、以下歴代将軍の朱印状にはその名が捺されている。第2代将軍秀忠から第5代将軍綱吉の代までは、以前の発給年月日を全て記し「先判之旨」となっているが、第8代将軍吉宗の時から「当家先判之例」として簡略化されている。また、家光の代まで朱印は年月日の下に捺されているが、第4代将軍家綱の時から年号の横に捺されるようになっている。なお、秀忠の朱印状には、横方向の折れが確認でき、現存する御朱印箱よりも小さな箱に入っていた可能性がある。宮代町指定文化財。(引用文献:宮代町郷土資料館 2013 特別展「西光院 歴史と文化財」展示図録)
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