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目録ID mp200008-200010
文書名 徳川秀忠朱印状
文書名(カナ) トクガワヒデタダシュインジョウ
文書名(ローマ字)
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者 徳川秀忠
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 元和3年
作成年終
数量 1通
形状 文書
寸法
寸法(縦) 45.6cm
寸法(横) 60.0cm
材質
形態に関する注記 竪紙 大高檀紙 折幅2.7㎝
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 西光院には、歴代の将軍が発給した50石の寺領と寺中不入を認めた朱印状12通が残されている。欠いているのは、第6代将軍家宣、第7代将軍家継、第15代将軍慶喜で、家宣と家継の治世は合わせて8年足らずで終わり、慶喜は幕末動乱期にあってそれぞれ発給されていないので、将軍から発給された全ての朱印状が残されていると言える。最初の朱印状は、天正19年(1591)11月の徳川家康から寺領50石と寺中不入を認めたもので、「福徳」の朱印が捺されている。第2代将軍秀忠の朱印状は、元和3年(1617)に発給され、天正19年の先判の旨とあり、「忠孝」の朱印が捺されている。第3代将軍家光も天正19年、元和3年の先判の旨とあり、朱印は「家光」と捺され、以下歴代将軍の朱印状にはその名が捺されている。第2代将軍秀忠から第5代将軍綱吉の代までは、以前の発給年月日を全て記し「先判之旨」となっているが、第8代将軍吉宗の時から「当家先判之例」として簡略化されている。また、家光の代まで朱印は年月日の下に捺されているが、第4代将軍家綱の時から年号の横に捺されるようになっている。なお、秀忠の朱印状には、横方向の折れが確認でき、現存する御朱印箱よりも小さな箱に入っていた可能性がある。宮代町指定文化財。(引用文献:宮代町郷土資料館 2013 特別展「西光院 歴史と文化財」展示図録)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 西光院
原資料の所在地 西光院
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 古文書
資料分類(大分類) 西光院朱印状
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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参照データ
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自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
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緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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