解題・説明
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元々は西光院の境内にあった東照宮の御神体であった。本画像は桐箱に納められている。蓋の表面には「東照宮御繪像百間山西光院」、裏面には「東照宮御繪像東叡山御繪所宗庭御修復調進」とある。箱の中には家康画像を修復した際の文書が残る。包紙には「粕壁町西光院様最勝院様」、文書には「覚東照神君様御画像一幅右御修復頼入候処、無致処調進慥ニ請取申候以上武州百間村亥五月三日西光院印御繪所神田宗庭殿」と記される。御繪所とは寛永寺にあった絵画を制作する機関で、神田宗庭とは御繪所の仏画師であった。こうしたことから、家康画像の修復は寛政3年(1791)に第7代神田宗庭貞信(1765~1800)により行われたと考えられるため、少なくともそれ以前からこの画像が西光院に存在していたと分かる。なお、本画像は徳川家光の時代に日誉との関係で拝領したと伝えられる。町内唯一の徳川家康画像であり、近隣でも非常に数少ない貴重な画像と言える。また、本画像は、「描表装(かきびょうそう)」と呼ばれる、風帯や一文字、生地の織柄まで軸を構成する全てのものが一枚の絵として書き込まれる手法で描かれている。宮代町指定文化財。
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