解題・説明
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多少庵第四世を継いだ島村鬼吉が編集したもので、松尾芭蕉の百五十回忌追善供養句集。弘化元年(1844年)の鬼吉の序文があり、刊年は弘化3年(1846年)。内題はなく、毎半葉八行で、墨付本文十二丁から成る。和半一冊。縹色(はなだいろ)の元表紙で、元題簽(だいせん)が付いている。筆者の鬼吉は、百間村の名主で、日下部波静の弟子となり、多少庵を江戸から百間に移すなど、宮代の地に俳諧が根づく基礎をつくった。宮代町史資料第13集「俳諧Ⅲ」所収※宮代町史資料集(第4集「俳諧Ⅰ」、第10集「俳諧Ⅱ」、第13集「俳諧Ⅲ」)には、多少庵をはじめ同時期の俳諧結社である春秋庵、東武獅子門の句集のほか、町内の姫宮神社、五社神社等に残されている俳額が収録されている。
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