解題・説明
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徳川家光の時代に、徳川家康画像とともに日誉との関係から西光院が拝領したと伝えられる。器形は丸碗で乳白色の釉が施釉され、高台付近は化粧掛け風で高台内の底裏には「粟田口」と刻印がされる。葵紋は体部に対で2 か所に施され、その間には草文が描かれている。葵紋は江戸時代前期のタイプである。粟田口焼は京都の三条大橋付近の粟田口から名付けられた焼き物である。時代が下ると粟田地区全体で焼かれるようになるため粟田焼と呼ばれるようになった。この茶碗は刻印で「粟田口」と刻まれることからも17 世紀代と考えられる。粟田口焼自体が数少ない焼き物であり、幕府などの御用窯的な窯であった。宮代町指定文化財。
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