解題・説明
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【判型】大本1冊。 【作者】春名須磨書・序。 【年代等】寛延2年(1749)初刊。江戸中期再刊。[大阪]鳥飼市兵衛板。 【概要】分類「往来物(女子用)」。異称『女文通花の園』『女文通花の苑』。享保20年(1735)刊『女用文章唐錦』を改題した女筆手本兼女用文章。前付の一部と本文は全て『女用文章唐錦』と同じだが、巻頭口絵(文を読む女性図で、文の内容が目録代わりになっている)と前付前半部に「女風俗品定(「我心かが見にうつる物ならは、さこそは影の見にくかるへき」等の教訓歌)」「楽器の始り」の記事など3丁を増補し、他の前付記事の収録順序を改めた。なお、本文は『女用文章唐錦』と全く同じで、新年状以下五節句や四季の手紙、出産・婚礼等通過儀礼に伴う手紙など全22通を収録する。そのほとんどが散らし書きだが、散らしの程度はさほど大きくない。また、本文上欄の頭書に「和漢列女伝」「女訓智恵海」「女用器財字・女衣服の類・絹布類・万染色の名ほか」「万包折形図」「女中和歌の道しるへ」「源氏物語目録」「香道の秘伝」「琴の引やう指南」「双六の手引」「女中手習の指南」「女中文のかきやう」「蒸菓子秘伝抄」「絹布の手引」を載せる。なお、『女用文章唐錦』の改題本には、本書のほか、宝暦12年(1762)刊『女書札百花香』や江戸中期刊『女文書大成』がある。 【備考】底本の刊記に「寛延二年版」と初刊年代を記すが、底本の刊行年代の根拠にはなり得ないため、江戸中期とした。春名須磨の筆跡は、当時盛んであった長谷川妙躰の書風に酷似するため、幼時から妙躰流を学んだと思われるが、11歳の時の筆跡は享保9年(1724)刊『女筆いろみどり』として刊行され、当時の書籍目録にも「須磨十一歳」と特筆され、大きな話題となったことがうかがえる。そんな彼女は播州佐用郡新宿村の庄屋の娘であり(『〈享保以後〉大阪出版書籍目録』)、庶民女性の作品でも出版物になり得た当時の状況を物語る。ちなみに、春名須磨の作品は、『女筆いろみどり』『女用文章唐錦』『女文通華苑』『女書札百花香』のほかに、享保20年刊『〈当流〉女用文章錦染』(本書の改題本が『女用文章唐錦』)がある。(小泉吉永 記)
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