解題・説明
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【判型】中本1冊。 【作者】蔀関牛(藤原徳風・子偃・蔀屋仙三・楊斎二世)作・書・画。黒田庸行(具徳・成章館)序。 【年代等】天保5年(1834)8月作。天保5年秋序。天保5年12月刊。[大阪]河内屋徳兵衛(抱玉堂・中島徳兵衛)ほか板。 【概要】分類「往来物(地理科)」。ほぼ七五調の文章で、大坂の沿革や各地の名所旧跡・神社仏閣のあらましを紹介した往来。「難波がた、名にしおほ江の故事(ふるごと)に、今見るさまをまじへつゝ、あらあら示しまいらせ候。抑人皇十七代、仁徳天皇はじめて此地を都とし…」と筆を起こして、仁徳帝以来の大坂の歴史、続いて、生玉神社・八幡宮・専修院・大江坂の釣鐘・八軒屋・天神橋など寺社・橋梁・河川等の縁起・由来・景観・結構について記す。古代から近世前半までの故事来歴を多く紹介するのが特色。末尾では、大坂の産業の発展ぶりや諸国産物が集積する様子、また「天下の大湊、繁華無双の都会」たる所以を述べて締め括る。本文を大字・5行・付訓で記し、本文中に「道頓堀より南方遠景の図」など四葉の見開き挿絵、巻頭に色刷り口絵一葉を掲げる。序文には、従来の『難波名所』が『京名所(都名所か)』に劣るので、それに勝る内容の往来として本書を編んだ経緯を記す。 【備考】刊記に元禄11年頃初刊の『摂河往来』の広告を掲げる。同書は伝本が極めて稀だが、江戸後期にも刊行されていたらしい。(小泉吉永 記)
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