解題・説明
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【判型】大本1冊。 【作者】猪瀬尚賢(直方・丈之助・晴雪楼・晴雲堂)作・書。 【年代等】万延元年(1860)5月作・初刊。文久2年(1862)2月書。1862年3月再刻。[江戸]須原屋新兵衛(小林新兵衛・嵩山房)板。 【概要】分類「往来物(社会科)」。『五人組帳前書』の条項に沿って順次語彙を列挙した手本。公民に必要な法令用語が大半で、「夫、人々蒙聖代恩沢、累世安穏令家跡相続、弁冥加、日夜職業専一相営、若年砌、有余力者、読書・算筆之稽古心懸…」と起筆して、家業出精、余力学問、孝行、博奕禁止、分限、遊芸、金銭、訴訟、契約、証文、取引、喧嘩、その他反社会的行動、裁定、地方・租税、相続、人倫、社会生活、忠孝、賞罰等の語彙を羅列し、末尾を「…誠以難有御政事也。為幼童要用文字粗荒々書集候処、仍而如件」と結ぶ。本文を大字・四行・所々付訓で記す。 【備考】本書のように袋綴じ板本とは別に、[江戸]丸屋徳造板の折本仕立てのものも刊行されているが、まずこの折本が刊行され、続いて大本が出版されたと考えられる。なお、作者の猪瀬尚賢は、もともと田舎育ちで、少年時代はほとんど字が読めなかった。江戸に奉公に出て商家の下男をした時に、番頭から「いろは」の手本をもらい、それを練習して次第に上達、ついに手習師匠となった(明治9年調査で児童数250人、明治14年廃業)。生まれつき器用で、古筆の模写に優れていたため、石刷りの版下書きを副業とした。彼が手掛けた往来物は多く、天保15年「玉のはやし」、嘉永2年「女婚礼国尽」、万延元年「要用往来」、同年「尊円親王真跡」、万延2年「幼童往来」、元治元年「女今川」、慶応元年「謹身往来」、明治4年「都路往来」などががある。(小泉吉永 記)
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