解題・説明
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【判型】大本1冊。 【作者】白馬山人書。 【年代等】天明4年(1748)3月書・刊。[江戸]亀屋文蔵板。 【概要】分類「往来物(古往来)」。古写本および江戸初期刊本の多くが大本1冊。歴史科往来の先駆と目されるもので、鎌倉時代初期の建久4年(1193)に行われた富士野巻狩と、そこで起こった曽我兄弟の仇討ちを題材にした文書・書簡を集めた古往来。一般に(1)廻文状(卯月11日付・源頼朝より)、(2)副文状(卯月12日付・蔵人大夫朝輔より右近大夫将監へ)、(3)着到状(5月13日付)、(4)配分状(5月日付)、(5)巻狩の規模・実況を報ずる状(5月日付・藤原正行より平景時へ)、(6)小次郎・禅師房召捕りの執達令状(5月晦日付・平景時より曽我太郎へ)、(7)小次郎等逮捕不能の陳情状(5月晦日付・曽我太郎より平景時へ)、(8)曽我兄弟の狼藉についての問い合わせ状(5月28日付・平景時より安達盛長へ)、(9)曽我兄弟仇討ちの状況並びにその成敗を報ずる状(5月28日付・安達盛長より平景時へ)の合計9通を収録する。底本の天明4年板は、以上の本文に「三国第一富士山図説」「源頼朝公家譜」の前付や、「天神七代畧数」「地神五代年数」や武鑑風の記事である「中興武将治世年数・九代将軍執権北条略伝」等の頭書を施したもの。 【備考】書名は同板別本の原題簽による。本書の題簽「冨士野往来」は手書きの後簽で、原題簽ではない。また頭書記事(2丁裏)に「天明五年迄」(刊年よりも遅い年号)と記す。原題簽に「西与開板」と記すように西村屋与八板が先で、亀屋文蔵板はその後印本である。なお『富士野往来』の最古本は、伊予国・瑞泉寺の右筆・寿哲26歳が認めた大本1冊の文明18年(1486)写本で、上記の(1)(2)(3)(8)(9)の5状のみを収録する一方、刊本最古の正保4年板は全9状を収録する。以後、本文のみの慶安5年(1652)板・延宝7年(1679)板や、頭書に注解や記事を盛り込んだ天明4年(1748)板や文化元年(1804)板(『〈頭書絵抄〉冨士野往来』)などが流布した。(小泉吉永 記)
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