三、将門と千葉氏の関係

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・「妙見大菩薩は、正直なる者を守るという誓あり、将門、正直諂佞(てんねい)(こびへつらう)と還って、神慮をも恐れず、朝威にも憚らず、妙見菩薩は将門の家を出でて、良文が許へ渡り給う、良文は、伯父為りといえども、養子と成り、其の芸威を伝ふ」(『源平闘諍録』)
・「忠頼(ただより)、将門の聟と成り、跡を継ぐ」(『松羅館千葉系図』)
・「良文、将門の養子と也」(『神代本千葉系図』)
・「良文、天慶三年(九四〇)五月、将門の旧領を賜る」(『千葉大系図』)
・「忠頼、将門の跡を継ぐ」(奥州相馬氏の『寛永諸家系図伝』)
・「忠頼、将門の跡を継ぐ、師常、師国の養子となり、将門の「正統の系図」を継ぐ」(奥州歓喜寺所蔵『相馬之系図』)
 実は、千葉氏も将門の子孫を主張しています。
十四世紀初頭に成立した『源平闘諍録』に、「良文村岡五郎、将門がためには、伯父たりといえども、養子となる。」とあります。同書は千葉氏の関係者が著したとされていますが、十四世紀初頭には、千葉氏の中でも将門子孫説があったのでしょう。