『新編相模国風土記稿』によると、村岡五郎良文の本拠地といい、現在「村岡城址」碑が建立されています。
『千学集抜粋』によれば、平良文・忠頼の居館といいます。近くの二伝寺(にじんで)(藤沢市渡内)の境内に、良文の墓(宝篋印塔)という塚があります。
村岡城跡(藤沢市村岡東)
②大友(おおとも)城(千葉県香取郡東庄町大友)
旧椿海(つばきのうみ)の北端の舌状台地に築かれた連郭式山城。平良文やその孫の忠常の館跡という伝承があります。
『千学集抜粋』によれば、忠常・常長・常兼・常重の居館といいます。
③大椎(おおじ)城(千葉県緑区大椎町)
村田川上流標高約八〇メートルの舌状台地に築かれた連郭式山城。土塁、空堀などが残存します。上総国山辺郡に属する、常胤の祖父大椎権介常兼(つねかね)・父常重の館跡を前身とする伝承があります。
『千学集抜粋』によれば、常兼・常重の居館といいます。
大椎城跡(千葉市緑区)
④千葉城(千葉市中央区亥鼻)
亥鼻(いのはな)の舌状台地(ぜつじょうだいち)に築かれた連郭式山城。土塁、空堀などが村岡城跡(藤沢市村岡東)などと共に残存しています。下総国千葉郡に属して、大治元年(一一二六)、大椎権介(おおじごんのすけ)常重は土気(とけ)の大椎から千葉に拠点を移し、千葉氏武士団を創設しました。以後、約二百年の千葉氏の拠点になります。跡地に千葉市立郷土博物館が建立されています。
復元された千葉城(千葉市中央区亥鼻)
⑤本佐倉(もとさくら)城(千葉県印旛郡酒々井(しすい)町本佐倉)
印旛沼近くの台地に、土塁、空堀、櫓台に守られた曲輪などが残存します。
城は千葉介輔胤(すけたね)および孝胤(のりたね)が、文永年間(一四六九~八七)に築いたとされます。以後、戦国時代末期の千葉氏滅亡まで、その拠点として重要な役割を果たしてきました。国重要文化財に指定されています。
本佐倉城址(酒々井町本佐倉)
⑥鹿島山(かしまやま)城(佐倉市城内)
近世の佐倉城の跡地で、『千学集抜粋』によれば、北条氏直(うじなお)が千葉家に養子に入った弟の直重(なおしげ)のために、天正十三年(一五八五)、鹿島台に築いたとされます。