平常重の寄進

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 大治五年(一一三〇)六月十一日、常重は、代々支配してきた相馬郡布瀬郷を皇こう大神宮(たいじんぐう)(伊勢内宮(ないくう))に寄進しました。
寄進状の写しによれば、寄進した御厨の収穫物や土産物を口入(くにゅう)神主(荒木田延明)へ納入する、御厨の下司職(げししき)は常重が留保する。同日の二通目は、常重の子孫がしじ加か地子の取得権を相続するなどの寄進条件が加えられています。
この時期、下総は、開墾が進んでいた南相馬と中相馬が、寄進の主力と思われますが、広大な未開墾地を抱えた北相馬が、相馬御厨寄進の目的だった可能性があります。
当時、北相馬は上総系千葉氏の常清(つねきよ)・定常(さだつね)父子も進出していた可能性もあります。