平常胤の再寄進

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 佐竹義宗の寄進に対し、常胤は中央の権門に働きかけ、御厨を内外二宮に再寄進しました。二宮は、庄判を与え、常胤を従来通り下司職として認めましたが、常胤は四月になっても供祭料を納入せず、二宮は義宗に庄判を与えることにしました。常胤にとっては神宮内部での足掛かりさえ失う結果になりました。
 しかし、救世主が現れます。伊豆に流されていた流人(るにん)源頼朝の伊豆山挙兵です。
頼朝は、石橋山の戦いで敗れて安房に逃れ、そこで勢力を回復して安房から千葉の方に上って来ます。その時早くも参陣したのが千葉常胤と息子たちでした。
 これによって頼朝の勢力は非常に強化され、富士川の戦い、佐竹合戦を経て相馬御厨の支配権は千葉常胤に安堵されました。師常は頼朝書状で相馬御厨の支配権を認められます。
このように、御厨の相論(そうろん)は、国司藤原親通の横領・義朝の介入・佐竹義宗の平家一族の横暴から、千葉常胤の頑張りで、ようやく相馬師常の手に入りました。