寄進年 | 寄進者 | 東境 | 西境 | 南境 | 北境 |
大治五年(一一三〇) | 平常重 | 蚊虻境(もんもうざかい) | 廻谷(めぐりたに) | 志子多谷(しこだたに) | 小阿高(こあだか)・衣河(きぬかわ) |
大治五年(一一三〇) | 平常重 | 蚊虻境 | 廻谷 | 志子多谷 | 小阿高・衣河 |
天養二年(一一四五) | 源義朝 | 須渡(すどう)河江口 | 綾谷(めぐりたに) | 藺沽上大路(いぬまのぼりおおじ) | 阿太加(あだか)・絹河(きぬかわ) |
久安二年(一一四六) | 平常胤 | 逆川口(さかかわぐち)・笠貫江(かさぬきのえ) | 下河辺(しもこうべ)境 | 小野上大路(おのののぼりおおじ) | 衣川(きぬがわ)・常陸国 |
永暦二年(一一六一) | 佐竹義宗 | 常陸国堺 | 葛飾(かつしか) | 坂東大路(ばんどうのおおじ) | 絹河・常陸国 |
永暦二年(一一六一) | 平常胤 | 逆川口・笠貫江 | 下河辺境 | 小野上大路 | 衣川・常陸国 |
東の境・・蚊虻境は蛟蝄(こうもう)→蚊虻(もんもう)→文間(もんま)と転訛しています、利根町立木(たつぎ)にこの蛟蝄(みずち/こうもう)神社が転訛の根拠です。蚊虻境はその先、東へ一キロ辺と比定されています。
須渡(すどう)は、龍ヶ崎市須渡堀町、笠貫江(かさぬきのえ)は、利根町大房(たいぼう)にあった「カサヌキ沼」がその名残と思われます。
西の境・・菅生沼が相馬・猿島の郡境で、この辺を西限とします。目吹岑・木埼は、野田市目吹、木野崎に比定されています。
南の境・・志子多は柏市篠籠田(しこだ)、手下水海は手賀沼で、郡界は明瞭な自然地形に乏しいため曖昧です。
しかし、『柏市史』は、手賀沼沿岸および手賀沼水系に属する一帯が相馬郡に、太日(ふとひ)川(現、江戸川)水系に属する地域が、葛飾郡とされていた可能性が高いとしています。
北の境・・衣川→絹川→小貝川は、往古、キヌ川と小貝川は、寺畑(つくばみらい市寺畑)で合流し、その下流は常陸・下総の国境を流れていました。小阿高はつくばみらい市足高(あだか)で、往古の流域が足高まで来ていたと想像されています。