東京都現代美術館が所蔵する「諏訪兼紀関連資料」は、版画家・諏訪兼紀(1897~1932)の旧蔵資料です。
この資料は版画家である塚本哲氏が所蔵していましたが、1979年に東京都美術館に寄贈され、1995年の東京都現代美術館の開館とともに、同美術館の美術図書室に所蔵が移管されました。
現在は、同図書室の貴重書コレクション「特別文庫」のひとつである「諏訪文庫」の一部として保存されています。
1897(明治30)年に鹿児島(一説に東京)に生まれましたが、早くに父と死別したため、幼児期を母と神戸で過ごしました。1914年に中学校を卒業して上京すると、本郷洋画研究所に学び、藤島武二の指導を受けました。1915年から1916年頃には鹿児島県に住み、鹿児島県鹿児島郡吉田町(現・鹿児島県鹿児島市吉田町)の風景などをスケッチブックに残しています。
1913年に初めての版画作品《ONNA》(木版)を制作。1919年に大阪で開かれた第1回日本創作版画協会展(大阪・三越)を見たことが、版画家を志すきっかけとなったようです。同年、鹿児島から神戸に戻り、「大和言葉のよみがえり」を提唱していた桜沢如一を知ります。ローマ字文芸誌『YOMIGAERI』(1919.9-1922.12)の発行を手助けし、版画による挿絵、詩などを発表しました。
1921年には再上京し、同じく版画家の深沢索一と平塚運一を知ります。翌1922年に神戸に戻り、「YOMIGAERI NO IE」展の責任者となりました。1925年には3度目の上京をし、資生堂意匠部でデザインを担当。1928年には恩地孝四郎ら7名と「卓上社」を結成し、翌1929年にはメンバーと「創作版画倶楽部」の創立に参加します。同倶楽部から頒布した『新東京百景創作版画』のうち、諏訪は《新橋演舞場》など12景を担当しました。また同年、再刊『風』の同人となります。1931年の「日本版画協会」設立には会員として参加しています。
1932年4月29日、急性盲腸炎のため東京根岸の病院で逝去。同年5月16日から18日まで資生堂ギャラリーで遺作展が開かれ、遺作版画35点と広告美術作品が展示されたほか、遺作集『小品六種 諏訪兼紀遺作小聚』(創作版画倶楽部刊)が刊行されました。
諏訪兼紀は将来を嘱望された版画家でしたが、35歳の若さで夭折したため、作品数は多いといえません。本資料に含まれるスケッチブックや水彩画などの自筆資料は、活動期間が短かった諏訪の足跡を辿ることができる数少ない資料であるだけでなく、創作版画の興隆期を研究する上できわめて重要な資料といえます。
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・冊子体の資料については、資料の状態を再現するために、方向を統一して見開きで表示している。そのため、表紙と裏表紙の両面から記載がはじまる資料については、文字や図の天地が逆に表示されることがある。
・冊子体資料は原則として表紙側から順番に表示するが、どちらが表紙か判別しがたい場合や、表紙とそれ以外の部分が天地逆になっている場合などは、東京都現代美術館美術図書室の基準によって表示順を決定した。
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