東京都現代美術館が所蔵する「渡辺進関連資料」は、美術家・渡辺進(1900~1961)が所蔵していた美術関係者からの書簡類や、自筆の日記・原稿を中心とした資料です。
1986年と1989年の二度にわたって、渡辺進の遺族から東京都美術館美術図書室に寄贈され、1995年の東京都現代美術館の開館とともに、同美術館の美術図書室に所蔵が移管されました。
現在は、同図書室の貴重書コレクション「特別文庫」のひとつである「渡辺文庫」の一部として保存されています。
1900年に東京で生まれ、大正から第二次世界大戦後にかけて洋画家・版画家・意匠デザイナーとして活躍しました。画家・版画家であり教育者でもあった山本鼎(1882~1946)に師事したことが縁で、山本の提唱した農民美術運動に深く関わることになりました。1921年、長野県小県郡神川村に、山本に共鳴する美術関係者や地元の有志らによって日本農民美術研究所が発足しました。渡辺は研究所員として働くだけでなく、研究所同人たちと九科会や催青会などの美術団体を結成するなど創作活動につとめました。
山本鼎や、同じく日本農民美術研究所同人であった画家の倉田白羊(1881~1938)、山崎省三(1896~1945)らの私的な書簡は、彼らの公私に渡る交流を物語っています。また山本の妻で詩人・北原白秋の妹の家子(いゑ)から渡辺の妻とみ(富子)に宛てた多数の書簡からは、山本の私生活の一端を知ることができます。
山本鼎を通じて日本農民美術研究所の中心人物となった渡辺は、研究所が発行する出版物の編集に携わりました。機関紙『農民美術』や、研究所が主催する講習会の教材の執筆者には、当時すでに著名であった美術家や教育者たちが名を連ねていました。これら執筆者から受け取った膨大な量の書簡からは、当時の農民美術運動をめぐる日本美術界の動向をうかがうことができます。
春陽会や日本版画協会で活動していた渡辺には、多くの美術関係の知人がいました。彼らから届いた年賀状のなかには、自作のデザインや版画によって制作されたものも少なくありません。年賀状の図案は、美術家たちの作品のひとつといってよいでしょう。
渡辺が心臓病の静養のため神奈川県の逗子に滞在していた、1931年頃に書かれた「逗子日記」には、当時の山本鼎や倉田白羊の動向などが記されています。また太平洋戦争末期と戦後まもなく書かれた「虚日抄」には、渡辺の中学時代からの友人で、獄死した思想家・戸坂潤(1900~1945)との面会の記述があります。
渡辺が雑誌や農民美術の教材のために書いたと思われる文の原稿には、何回も推敲した跡が見られます。また挿絵のためと思われるスケッチや、漫画家・岡本一平(1886~1948)が描いた渡辺の似顔絵色紙なども現存しています。
日本農民美術研究所に関連する写真資料です。渡辺進本人のほか山本鼎や倉田白羊ら農民美術運動に関わった人物や、研究所の建物、製作された工芸品、研究所同人による展覧会の様子などがおさめられています。
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