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解説
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この遺跡は昭和41年(1966)5月、長野県企業局による駒沢団地の造成が行われた際、ブルドーザーの爪の下からあやうく破壊されそうになって発見され、緊急調査が行われたものです。 古代における祭祀(さいし)遺跡には、峠など交通に関するものや、神南備型の山を祭祀の対象としたもの、水源祭祀にまつわる農耕に関したものなどが知られていますが、駒沢の遺跡はその農耕にかかわる古代祭祀遺跡と考えられています。 駒沢地域は堆積(たいせき)した扇状地末端に近い地形上にあり、飯綱山を水源とする浅川が流れ、飯綱山を仰ぎみる湧水(ゆうすい)地点にこの遺跡があります。 検出された遺構は、古墳時代前期の祭祀遺構 4、後期の祭祀遺構(あるいは住居跡) 1、炉跡およびカマド跡3である。焼土と木灰をともなった、小礫(れき)による石組みを主体とする遺跡は湧泉跡と考えられ、その遺構を取りまくようにして、祭祀遺物をともなう遺構が並んでいた。 第1号跡を見ると4.2m×3.0mの範囲に大型球形胴の壺、小型丸底・高杯(たかつき)・器台・椀(わん)・坩(つぼ)形土器など、およそ500点が集積していました。また、そのプランの周囲には、祭祀遺物である小型手捏(こね)土器や滑石(かっせき)製模造品(勾玉(まがたま)・有孔円板=鏡・剣形などの三種の神器や臼玉(うすだま))、管玉(くだたま)・丸玉・ガラス小玉のほか、(やりがんな)・鉄鏃(てつぞく)・刀子(とうす)などの鉄製品も検出されました。 この第1号跡は祭祀用具の収納遺構と考えられ、これらの遺物も一連の祭祀にかかわるものであることはいうまでもありません。5世紀から7世紀までの農耕祭祀遺跡として重要な遺跡です。
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