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解説
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長野市立長野高校の北側にある若槻丘陵南斜面に位置する遺跡です。遺跡の範囲には直径10m程度の円墳が数基確認されている徳間古墳群を一部含みます。また、遺跡の南側には長野市内でも有数の遺跡を内包する浅川扇状地遺跡群が広がり、東側には古墳時代の集落跡や祭祀遺構が見つかった駒沢新町遺跡が位置しています。 平成7年(1995)に、土木事業代替地先行取得事業に伴って発掘調査が実施され、弥生時代の竪穴住居跡5軒、古墳時代の竪穴住居跡3軒、平安時代の竪穴住居跡1軒、弥生時代の礫床墓4基、古墳時代の土坑墓1基等を検出したほか、直径が約16mの円墳が見つかりました。墳丘は削平されていて、周溝だけが検出されましたが、その周溝からは土師器の杯がまとまって出土した場所や、赤色顔料が盛られた高杯などの祭祀跡と思われる痕跡が見つかっています。 平成18年(2006)には長野市立長野高校建設に伴って試掘調査が実施されています。確認された遺物や遺構はわずかで、調査地が集落の縁辺部だったと考えられます。 平成25年(2013)から平成26年(2014)の県道豊野線道路改良事業に伴う発掘調査では、竪穴住居跡13軒、溝跡、土坑が見つかりました。遺構の時期は弥生時代から古代までで、特に竪穴住居跡は4軒が弥生時代中期、6軒が弥生時代後期と弥生時代が中心であり、また重なり合うものが多く、密集した様子が確認できました。 これまでの調査結果から、徳間本堂原遺跡は、弥生時代では竪穴住居が建ち並ぶ居住域であり、古墳時代では土坑墓や古墳がつくられる墓域であったと考えられます。
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