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解説
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この遺跡は、南東に向かって緩やかな傾斜となっている浅川扇状地の扇央部に立地しています。宅地化が進んだ現在では、地形を確認することは困難となっていますが、遺跡の位置する桐原地区の北側には、かつての河川の痕跡を示す谷筋が100~150mの間隔をもって並列しており、それに挟まれた尾根筋が微高地として帯状に形成されていたようです。 2010年に実施された宅地造成工事に伴う発掘調査では、縄文時代から中世にわたる各時代の遺構と遺物が確認されました。 検出された遺構は竪穴住居12軒(弥生時代後期~古墳時代前期1軒、古墳時代後期2軒、平安時代8軒、時期不明1軒)、溝10本(弥生時代後期末~古墳時代前期初頭、平安時代)、土坑21基(弥生時代後期~古墳時代前期1基、古墳時代後期1基、平安時代11基、中世4基、時期不明4基)、掘立柱建物1棟(平安時代の可能性)および不明遺構2基(平安時代1基、時期不明1基)となり、溝のうち5本は方形周溝墓の可能性があります。。 出土遺物の中には縄文時代に遡るものが含まれているため、縄文時代から中世にいたるまでの各時代にわたって、断続的ながらも長期間営まれてきた集落であると考えられます。ただし検出した遺構の数は比較的少なく、また遺構間での重複関係がないことから、この遺跡の居住域としての利用はあまり積極的ではなかった可能性が考えられます。 また、周溝墓の一部とみられる溝が確認されたため、弥生時代の終わりから古墳時代の初めの時期には、墓域としての利用が優先された状況を想定することもできます。
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