解説
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地附山の山頂から北東に伸びる尾根の頂部に立地し、標高709m、平地からの高さは約300mで、眼下には善光寺平全域が広がっています。 南東側の墳丘裾部が崖となり、盗掘坑らしき痕跡が各所に残るなど、形状はかなり変化していますが、前方部が南西側となる前方後円墳です。全長は36.1mで、前方部の長さ16.1m、幅14.5m、後円部の直径20mを測り、前方部の前面から北側にかけて、幅3~4m、深さ80cmほどの周溝(しゅうこう)がめぐらされています。 昭和61年(1986)、筑波大学の測量調査によって、前方後方墳である可能性が指摘されました。正式な発掘調査はされていないため、墳丘形態や埋葬施設、築造年代も明らかではないが、本古墳直下の平坦地に存在した上池ノ平古墳群との位置関係などから、5世紀中頃から後半にかけての築造と推定されています。 詳細は不明な部分が多いが、長野市北部においては盟主墳的な存在であり、きわめて貴重な古墳です。
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