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解説
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箱清水遺跡は弥生時代後期後半に善光寺平を中心として分布する「箱清水式土器(通称:赤い土器)」の標式遺跡として著名な遺跡です。遺跡は長野市箱清水の長野西高等学校の敷地に所在し、大峯山から東南に伸びた尾根に連続する丘陵上に位置します。 明治33年(1900年)に、長野西高等学校の前身である長野高等女学校の移転に際して造成工事が行われ、多数の土器が出土することが明らかとなりました。当時の高等女学校長であった渡辺敏(わたなべはやし)らがこれに注目し、東京帝国大学の坪井正五郎(つぼいしょうごろう)の知るところとなります。翌年には現地を視察した坪井の指示により、当時の弥生土器研究の第一人者であった蒔田鎗次郎(まいだそうじろう)が「長野市に於ける弥生土器の発見」という報告文を発表し、学界において非常に注目されるとともに、弥生時代の研究史に大きくその名を残すこととなりました。 その後、箱清水遺跡から出土した土器については、昭和10年代に藤森栄一(ふじもりえいいち)によって編年的位置づけがなされ、昭和31年には桐原健(きりはらたけし)によって「箱清水式」と命名されました。 箱清水式土器は、赤色塗彩された壷や高坏と、煩雑なまでに櫛描文を施した甕によって特徴づけられるもので、甕以外のほとんどの土器が赤色に塗りあげられていることから、別名「赤い土器」とも呼ばれます。その分布は善光寺平を中心に千曲川流域に広く認められ、さらには関東地方まで強い影響を与えています。
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