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解説
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『上水内郡誌』や『安茂里史』では「平柴中組古墳」として記載されている古墳ですが、遺跡台帳では「中塚古墳」の名称になっています。石室の残りが良いきょう塚古墳からは130mほど東側の、標高430m付近に立地しており、現在は倉庫の奥で見つけにくい場所にあります。 墳丘はすべて竹やぶに覆われているため判然としませんが、石室の残存状況からかろうじて塚状を保っているようです。東南方向に開口する横穴式石室は、玄室の奥壁側の天井石1枚分のみがかろうじて残る半壊状態です。石室の残存長は右側壁で約1.4m、左側壁で約1.6mで、幅は約1.75m、高さ約1.65mです。奥壁は大きな石を二段に積み、側壁の持ち送り構造が顕著な特徴を持っています。 竹やぶの中で崩壊が進んでおり、また出土遺物もいっさい不明ですので、築造時期や被葬者などの詳細はわかっていません。
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