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解説
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昭和48年の長野市信更町信田地区における圃場整備事業の施工中、湧水を抜くために幅約1m、長さ30m、深さ約1.5mの排水溝を掘っていたところ、予想もしなかった場所から土器や灰が多量に出土して工事関係者の目に留まり、急遽教育委員会の担当者が現地確認を行い、すぐに発掘調査を実施することになりました。工事中の発見であった経緯や、湧水池に近い泥湿地という地形条件により、5日間という緊急的な発掘調査は困難を極め、泥水の中から手探りで遺物を拾い出すような作業だったようです。 灰白色の純粋な灰層は東西約3m、南北約2.8m、最大厚25㎝の範囲に堆積し、その外縁には灰が混入する黒色土が東西約6.3m、南北約4.3mの範囲に広がっています。これ以外には人為的な遺構らしき痕跡は確認されていません。遺物の多くはこの純粋な灰層の外縁から出土しており、土器は口縁部の破片だけでも500点以上というかなりの量となりました。ほとんどすべて縄文時代後期から晩期にかけての時期に属する破片で、完形品はありませんでした。土器の他には、打製石斧や石鏃、骨針などがあります。 報告書では、特異な遺跡立地や遺物の出土状況から「祭祀的な要素をもった継続する一時的キャンプ地」と想定されていますが、不明な点が多い特殊な遺跡と言えます。
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