解説
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奇妙山に連なる南西斜面、山地から山麓へと至る傾斜変換地の、標高478m付近に築造された積石塚古墳です。この古墳の山側には直径19m、高さ4.3mの積石塚状の円墳が1基隣接しています。 墳丘は、近くで産出する人頭大の安山岩質石塊のみで積み上げられた円墳で、直径34m、高さ6.7mを測ります。墳頂部は比較的平坦で、中心よりやや山側に埋葬施設が露出しており、後付けされた横穴式石室である可能性が考えられます。 正式な発掘調査ではないが、露出している埋葬施設とは別の埋葬主体部が、昭和45年(1970)頃に確認されました。現在は埋め戻されていますが、墳丘表面から約1.2m下で、長さ3.5m、幅1.25mを測り、赤色塗彩された合掌形石室です。長側壁に左右4枚、短側壁に2枚ずつの厚みのある板石を並べて基部とし、天井石として長側壁側に3枚、短側壁側に2枚ずつの板石を内傾させて立てかけています。 写真や実測図などの資料がなく、また出土遺物も確認されていないため、6世紀前半頃というおおよその築造時期が推定されているにすぎません。 この古墳は、長野県下最大規模の積石塚古墳であり、また特異な合掌形石室を内部主体としているようであり、古墳時代中期から後期にかけての長野盆地の様相を探るうえで、きわめて貴重な古墳です。
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