解説
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長野盆地東部を北流する千曲川の右岸自然堤防上に立地する、弥生時代中期から平安時代にかけての集落遺跡です。昭和62年(1987)、道路改良事業に先立って調査が行われました。 見つかった主な遺構には、弥生時代中期の住居跡1軒、同後期の住居跡4軒・土器棺墓1基・土坑6基、同終末期の住居跡2軒、平安時代の住居跡2軒・溝跡2条などがあります。主体を占める弥生時代後期の遺構からは、地元の土器である箱清水式土器とともに、北陸地方の特徴をもつ土器が複数出土しました。箱清水式土器が使われた後期後半における北陸地方との交流を物語る資料です。 なお、出土土器中には箱清水式土器に先行する後期前半の吉田式土器も多く含まれており、周囲に同時期の集落が存在する可能性が考えられます。
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