/ 4069ページ
画像
画像ビューア
遺跡名称 川田氏館跡
遺跡名称(かな)
遺跡番号/遺跡群名/遺跡名 G-205/川田条里遺跡/川田氏館跡
欧文タイトル
遺跡名称に関する注記
差出 作者
受取
製作者
年代
年代終
数量
形態
寸法(図録用)
大きさ(縦)
大きさ(横)
大きさ(高さ)
材質
形態に関する注記
保存状況
収録時間
縮尺
調査年度 1999
言語
ISBN
ISSN
テーマ
地区別
関連する人物・団体
検索用時代区分_埋蔵文化財 中世
検索用時代区分_埋蔵文化財コード
検索用時代区分_埋蔵文化財終
検索用時代区分_埋蔵文化財終コード
内容細目
解説 川田氏館跡は、川田保育園改築に伴い、平成11(1999)年に発掘調査が行われました。保育園以前は川田村役場があった場所で、西隣には川田小学校や領家皇太神社があります。周辺は圃場整備が行われ、現在は水田が広がっています。周囲の元来の地形は、千曲川の旧河道である後背湿地で、現在でも千曲川と犀川の合流する「川合」という地名がすぐ近くにあり、中世にはさらに裾花川も合流する網の目のように川が流れる場所でした。遺跡のある場所はその中で少し高い微高地で、東約600mには保基谷岳を水源とする保科川、西約220mには赤野田川が流れ、千曲川へと注いでいます。遺跡周辺の山には古城山城跡・霞台城跡・前山城跡・和田東山城跡などの山城があります。また遺跡の東約160mには、県埋蔵文化財センターが平成1・2(1989・1990)年に行った上信越自動車道建設に伴う発掘調査で、中世の条里跡が発見されています。中世の遺跡周辺は高井郡に含まれ、保科御厨という伊勢神宮の荘園でした。
 川田氏館跡の発掘調査では掘立柱建物跡が8棟、貼床状遺構2棟や土坑などが見つかりました。周辺では中世の遺物や遺構は発見されていないのですが、調査区東には堀跡も見つかっており、また中世の館で出土することが多いカワラケが出土したことから館跡と判断されました。遺物の年代から、遺跡は15世紀中頃~後半、室町時代のものと考えられます。その頃に川田周辺を支配していたとされる川田氏の館と想定されています。
 川田氏は保科氏とともに文書等に見られ、初めて登場するのは、京の六条八幡宮を造営する費用負担を記した建治元(1275)年「六条八幡宮造営注文」で、「河田次郎跡 三貫」とあります。このほか康正2(1456)年「諏訪御符礼之古書」に頭役として費用を負担しており、「河田・保科両人」と見えます。
 鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』文治3(1187)年2月25日条に、鎌倉の御家人三浦義澄邸で源頼朝臨席の酒宴において、保科宿の遊女長者が宴曲を歌ったという記事が見られます。千曲川から保科川に沿って遡り、上野国へと抜け、鎌倉に向かう大笹道があり、保科宿はこの街道により繁栄したと考えられています。この街道沿いには、保科氏館跡や清水寺などが分布し、川田氏館跡もこのような中世信濃の交通の要衝に位置していました。
解説(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 長野市埋蔵文化財センター
所在 若穂川田(町川田)
遺跡番号ID 674
管理記号
カテゴリ区分
包蔵地種別 城館跡
大分類 遺跡
中分類
小分類
文化財情報
上位階層目録ID
関連目録ID
manifest.jsonへのURL
参照データ
長野市行政地図情報 https://www2.wagmap.jp/nagano/Map?mid=7&fid=147-15
関連画像URL
自治体史掲載
報告書/参考資料 098_川田氏館跡・岩崎遺跡Ⅱ/
翻訳の言語
権利関係・二次利用条件 独自規定あり
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
汎用フィールド01
キーワード
備考
汎用フィールド05
汎用フィールド06
汎用フィールド07
汎用フィールド08
汎用フィールド09
汎用フィールド10
汎用フィールド11
汎用フィールド12
汎用フィールド13
汎用フィールド14
汎用フィールド15
汎用フィールド16
汎用フィールド17
汎用フィールド18
汎用フィールド19
汎用フィールド20
汎用フィールド21
汎用フィールド22
汎用フィールド23
汎用フィールド24
汎用フィールド25
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
/ 4069ページ