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解説
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現在の更北中学校のあたりにあったと考えられ、地域の有力氏族であった町田氏の館跡と言われています。 平成8年(1996)には更北中学校複合施設建設に先立って長野市埋蔵文化財センターによる試掘調査が実施され、中世の土器片1片と堀のような痕跡が確認されています。 かつての大堀館は幅3間半(約6.4m)、高さ2間半(約4.5m)の土塁が四方を囲み、土塁の外側には幅4間(約7.3m)、深さ1間半(約2.7m)の大きな堀が巡らされていたと伝えられ、この大きな堀が「大堀館」と呼ばれる由来になったと言われています。 現在、館の痕跡は残っていませんが、更北中学校の正門脇に「大堀館址」と彫られた石碑が建っています。
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