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解説
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長野市南部の篠ノ井塩崎地区では千曲川に沿って大規模に発達した自然堤防と後背湿地を見ることができます。 この地域の発掘調査では自然堤防上からは集落の跡が、後背湿地からは水田の跡が見つかっています。現在でも多くの住宅は自然堤防上にあり、後背湿地は水田として利用されていて、弥生時代以来現在まで基本的に変わらない集落と水田の景観が保たれていることがわかります。 平成2年に実施された長野南消防署塩崎分署建設事業に伴う石川条里遺跡の発掘では、自然堤防から後背湿地へと移行する地点で、奈良時代から平安時代にかけての水田跡、古墳時代中期の水田跡が調査されました。特に古墳時代中期の水田跡では、北東―南西方向に木材を敷設した帯状の遺構が検出されました。太さ10cm程度の割材、樹皮を残す枝材、厚さ2cm程度の板材、杉皮状の樹皮など多彩な木材から構成されていて、建築材などに用いた廃材を使用したとみられます。また、横位置の木材を押さえ込むかのように打ち込まれた3本の杭が確認されました。こうした木材の使用方法は大形畦畔内部へ埋め込まれた補強用木材に類似例があり、本例はその残欠と考えられます。さらに、この帯状遺構を境に段差が形成されている状況が観察され、地形改変を目的とした土木施設の一部としても機能した可能性が高いと判断されます。 こうした状況から、当遺構は水田の畦畔であるとともに自然堤防から後背湿地へと移行する地形変換点の改変を目的に造成された土木施設の性格も兼ね備えていると把握され、「畦畔様遺構」と呼称されています。
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