解説
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善光寺本堂は元禄16年(1703)再建に着手し、宝永4年(1707)に落成した。設計は江戸の大棟梁甲良(こうら)宗賀で木村万兵衛が棟梁となって普請を行った。 梁間(はりま)23.9m、桁行(けたゆき)53.7m、高さ25.8mで、その規模が大きいことや、竪棟(たてむね)と横棟からなり、撞木(しゅもく)造りといわれる珍しい様式は他に例を見ない。正面は柱間7間、側面は16間あるが、側回り一間は裳階(もこし)(ひさし)で裳階上に屋根を付けて二重屋根としている。 このような様式はすでに鎌倉末または室町初期頃にはできていたらしく、武田信玄が甲府に建てた善光寺本堂もほぼ同じ様式である。 柱は上部を粽(①ちまき)付きとした円柱で、正面一間通りは吹き放ち、窓は連子窓である。正面に向拝3間、両側面にも向拝を付ける。正面1間をおいて内部4間を外陣(げじん)といい、その次の5間を内陣、さらに奥3間を内々陣という。内々陣の向かって左わきに瑠璃(るり)壇を設けて本尊安置の間とし、右わきに開基の像を安置しており、内陣・外陣だけの他の寺院とは全く異なっている。 特に下陣まで下足で参詣(さんけい)できる板敷きとするのは、庶民的な江戸時代の仏教建築の特性を発揮したもので、その代表的な建築といえる。 屋根については栩葺(とちぶき)(厚い板葺き)だったものを大正末期に檜皮葺(ひわだぶき)に改めた。また、平成元年11月、昭和大修理が完成し、檜皮葺きの屋根が全面的に葺き替えられ、屋根裏の構架材も一部補強された。 善光寺本堂の国宝指定書には、「附厨子一基、寄せ棟造り、本瓦形板葺」とある。この厨子とは善光夫妻像と子息の善佐像の3体を安置した厨子のことで、御三卿の間にある。 細長い須弥壇(しゅみだん)が黒漆塗の箱仏壇になっており、古文書には「善光の間、箱仏壇に蹴込み板・・・」とある。厨子の上部には御簾(みす)(すだれ)をかけているが、上に金箔の柱をもち、瓦に似せた木瓦の屋根のある横長の厨子である。製作の年代については明らかになっていない。
注①粽(ちまき)付き・・・柱の上または上下を細くすること。
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