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文化財名 木造広目天立像・木造多聞天立像
文化財名(かな) もくぞうこうもくてんりゅうぞう・もくぞうたもんてんりゅうぞう
欧文タイトル
資料名に関する注記
差出 作者
受取
製作者
年代 藤原時代末期
年代終
員数 2躯
形態
寸法(図録用)
大きさ(縦)
大きさ(横)
大きさ(高さ)
材質
形態に関する注記
保存状況
収録時間
縮尺
その他の注記
言語
ISBN
ISSN
テーマ
地区別 若穂
関連する人物・団体
検索用時代区分_文化財 平安時代
検索用時代区分_文化財コード
検索用時代区分_文化財終
検索用時代区分_文化財終コード
内容細目
解説  清水寺は保科の谷の奥にある寺で、征夷大将軍 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が大同年間(806~810)に建立したものと伝えられている。以前は多くの坊舎を抱え、堂塔伽藍(がらん)を備えた盛大な寺だったというが、大正5年の保科の大火の際に全焼して、今は堂塔の跡を残すのみとなった。その後、奈良県から移されたのが現在同寺にある古仏像群である。
 木造広目天立像・木造多聞天立像は、両像とも寄せ木造りで彩色はほとんどはげ落ちている。
 広目天(こうもくてん)・多聞天(たもんてん)は四天王に入る仏法守護神で、四方のうち広目天は西、多聞天は北を守る神とされる。また、多聞天は単独の場合は毘沙門天(びしゃもんてん)ともいう。
 
 広目天立像は像高150㎝。両横の髪を焔髪(えんぱつ)とし、口を閉じ、右手のひじを曲げて手のひらを上に向け、物をささげ持つ形をとり、左手は下げて手のひらを腰に当てる。唐様甲(からようよろい)をつけ、袴(はかま)をひざ下でくくり、素足で立つ。 
 多聞天立像は像高153㎝。で左手のひじを曲げ、手のひらに物をささげ持つ形とし、右手は高く上げて戟(げき)を握る形をとる。忿怒(ふんぬ)の形相(怒った顔)でやや腰をひねり、広目天と同様に唐様甲をつけ、胴に布を巻き、籠手(こて)・脛当(すねあて)をつけ沓(くつ)をはく。
 
 両像とも鎌倉時代の天部像のような激しい動きは見られない。両腕にかかる鰭(ひれ)袖のひるがえり方も弱く、裳先も穏やかに後ろに垂れ、静かな姿である。 藤原時代末の作で、県内の四天王像の古い例であり、しかも洗練された得難い像である。
解説(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 長野市文化財課
所在 長野市若穂保科
文化財番号 12
管理記号
カテゴリ区分
文化財種別 彫刻
大分類 指定等文化財
中分類
小分類
文化財情報 国指定/重要文化財/昭和 12年8月25日/1937/8/25
上位階層目録ID
関連目録ID
manifest.jsonへのURL
参照データ
長野市行政地図情報 https://www2.wagmap.jp/nagano/Map?mid=24&fid=334-48&mps=5000
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳の言語
権利関係・二次利用条件 独自規定あり
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
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キーワード
備考
告示番号
標柱情報 平成11年度/平成23年度建て替え
解説板情報 平成5年度(平成6年3月1日付 清水寺仏像群一括のもの)
案内板情報 なし
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DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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