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解説
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この鉄鍬形(①)は、もと若穂・清水寺内の八将権現社に納められていたもので、むかしは8枚あったという。征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の用いたものというが、確かではない。 縁起によると、田村麻呂は神童の助けで征夷戦に勝利したので、自ら神童の像8体を刻み、八将大権現と称して清水寺の鎮守(ちんじゅ)とし、自分の兜(かぶと)の前立てを納めたという。 鉄製で、高さ42.4㎝、枝張り17㎝。枝が細長く、左右ともほとんど垂直に上方に伸び、先端にイチョウ形の刳(く)りを施してある。台と枝とを菊形の飾り鋲で取り付け、台には銅メッキの雲竜文(②)を象嵌(③)してあるが、象嵌文様はほとんど脱落し、跡だけ残っている。 後世の装飾をこらした鍬形と比べると簡素で、いかにも古式だが、その形は美しい。 全体の形や象嵌の手法などから平安時代の作と考えられる。現存する鍬形の中では最も古いものの1つで、貴重な遺品である。 注① 鍬形(くわがた)・・・兜(かぶと)の正面の飾り。古くは二本平行で、鎌倉末から末開きになった。 注② 雲竜文・・・雲の中に竜を描いた文様。 注③ 象嵌(ぞうがん)・・・金属に模様を刻んで、金・銀などをはめ込む金工術。
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